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『ビーチ・バム まじめに不真面目』の不真面目さ

「Fun is a Fucking Gun」、楽しく生き続けるのは本当にハードだ。やりたい事だけやってりゃあいいのに、いつのまにかやらなきゃいけない事ばかりをやっている。自由に生きるのは簡単じゃない。ましてや2021年、路上で酒を飲むことも出来ない東京に自由なんてどこにもない、あるとすればそれはハーモニー・コリンの最新作『ビーチ・バム』が映写されたスクリーンの中でだけだ。

ハーモニー・コリンは19歳でラリー・クラークの名作『KIDS』の脚本を執筆し、90年代のカルト・クラシック『ガンモ』で監督デビュー、一躍ポップカルチャーのアイコンに。一時は精神を病みメインストリームから退くも、春休みの遊ぶ金欲しさに強盗をはたらく女子大生を鮮烈に描いた『スプリングブレイカーズ』で衝撃の帰還。近年も彼からの絶大な影響を感じる『mid 90s』(監督のジョナヒルは本作にも出演)のヒットや、Travis Scott『JACKBOYS』のアートワークなどポップの最前線で異彩を放ちつづけている。そんな彼が50歳を目前にして世に送りだしたのは超自由奔放な生粋のアウトロー詩人ムーンドッグを描いたストーナー・ムービー『ビーチ・バム』だ。

主人公ムーンドッグは若き日に出版した一作の詩集により称賛を集めるも、その後は酒、ドラッグ、女に溺れるかつての天才詩人。周りからは才能を無駄にするななんて言われているが本人はまったく気にも留めず、謎の富豪妻の金で豪遊しまくりハイになって街の酒場を転々としている。しかし、その妻の交通事故死により金も豪邸も車も一気に失いホームレス状態に。とここまで話すとまるで彼がこの後すこし人生を省みたりしそうだが、そんな安易なことにはならないのがハーモニー・コリン。その後もホームレス達とかつての豪邸をめちゃくちゃに破壊し、父を想う真面目な娘に入れられた更生施設も脱走、ついには車椅子の老人を暴行して金を奪ったりとやりたい放題。

たった80ページほどしかなかったという脚本にはストーリーらしきストーリーはなく、ハイなまま煌めく街を自由に彷徨いつづけるムーンドッグをカメラはひたすら追いかける。ギャスパー・ノエ監督作品などで知られるブノワ・デビエによる、その陶酔的な眩さは最近だとルカ・グアダニーノ『We are who we are』エピソード1の陽光を少し思い出したりもするが、それとは似て非なるものであり終始ストーンなムーンドッグが見ている幻惑的なマイアミの風景そのものだ。そしてその映像をより魅力的に見せる音楽のセレクトも当然素晴らしく、ジェリー・ラファティ、スティーヴン・ビショップ等のヨットロック度高めの70sヒットから大胆なキュアーやヴァン・モリソンの使い方までこれもまたムーンドッグの頭の中を覗かせるかのようにほとんど途切れなく流れていく。

どこまでもだらしなく無責任でアンモラル、実在したら間違いなく社会からはじき出されるアウトロー、だが底抜けに明るくポジティブ、そして何にも制約されず自由に人生を謳歌するムーンドッグはこの世界でだけは幻のように輝いている。あまりに窮屈で不自由な世界に暮らす私たちはそんな彼の姿をどのように観るのだろう。この映画でハーモニー・コリンが描いた「不謹慎さ」「不真面目さ」「無意味さ」はかつてあったユートピアとしての世界、失われいく楽園としての映画に捧げられたレクイエムなのかもしれない、だからこそいままでのコリン作品にあった不穏さは姿を消し、お下劣なユーモアとナンセンスで応えてみせた。『ポンヌフの恋人』如く馬鹿みたいにぶち上がる花火と夜空を舞う札束、そのあまりの美しさと儚さにそう感じざるを得ない。

友人間では最大のヒーローと崇められるマシュー・マコノヒーの歴代最低興行収入、Rotten Tomatoesでは異例の超低評価。その理由を是非劇場で確認してほしい。

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