「誰も見ることはないけど 確かにここに存在してる」
冒頭のナレーションのこの言葉に尽きるだろう。『愛がなんだ』『あの頃。』などで知られる今泉力哉監督の最新作『街の上で』は「不在の証明」という難儀なテーマをノスタルジックになることを巧妙に回避し、軽やかにそしてユーモラスに表現することに成功した稀有な一本だ。
「愛がなんだ」の今泉力哉監督が、下北沢を舞台に1人の青年と4人の女性たちの出会いをオリジナル脚本で描いた恋愛群像劇。下北沢の古着屋で働いている荒川青(あお)。青は基本的にひとりで行動している。たまにライブを見たり、行きつけの古本屋や飲み屋に行ったり。口数が多くもなく、少なくもなく。ただ生活圏は異常に狭いし、行動範囲も下北沢を出ない。事足りてしまうから。そんな青の日常生活に、ふと訪れる「自主映画への出演依頼」という非日常、また、いざ出演することにするまでの流れと、出てみたものの、それで何か変わったのかわからない数日間、またその過程で青が出会う女性たちを描いた物語。
カットされた自主映画の出演シーン、留守電の応答メッセージに残されたいまはもう亡き人の声、彼女と食べるはずだったバースデイケーキ、そして日々再開発の進む下北沢の風景。それらはいま誰も見ることは出来ないけれど確かに存在しているものの象徴としてさりげなくも印象的に登場する。「不在の証明」といったが、正確にいえば「不在の存在の証明」というべきだろうか。いまはもう存在しないものをフィルムの中に残すことがこの作品のテーマのひとつであることは冒頭のナレーションからも明らかだが、本作の面白さはそれが過去(かつてあったもの)へのノスタルジックな眼差しではなく、あくまでもいまここにあるもの(誰もみることは出来ないが)として描かれていることだ。誰も見ることはないけど 確かにここに存在して”いた”のではなく誰も見ることはないけど 確かにここに存在して”いる”のである。だからこそカットされた自主映画の出演シーンはある人の中でいまも残り続け、亡き人の留守電に電話をかけることによってその人はいまも存在し、食べられることのなかった誕生日ケーキは時を経て冷蔵庫から発掘され、移りゆく下北沢の街は工事中の風景そのままがスクリーンに映される。
古着屋で働く主人公”荒川青”を中心に彼を取り巻く4人の女性達との他愛なくもどこか笑ってしまう愛すべき日常や、文化の街下北沢をに暮らす若者達の生活を少しあざといくらいのカルチャーの引用(魚喃キリコ漫画の聖地巡礼をする若い女性やヴェンダースのベスト作品を巡る男2人のカフェでの会話など)を用いて丁寧に切り取った本作はパンデミック以降、かつての当たり前が遠くに感じられる今こそより胸に響いてくる。下北沢の街をふらふらと彷徨いつづける青の暮らし、本作がスクリーンに映しだすささやかな日常はかつて”あった”ものではなくいまここに”ある”ものなのだ、きっと誰もみることはないけれど。
出演:若葉竜也、穂志もえか、古川琴音、萩原みのり、中田青渚
成田凌(友情出演)
監督:今泉力哉『愛がなんだ』
脚本:今泉力哉 大橋裕之
映画『街の上で』公式サイト:https://machinouede.com/