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FUN THEATER THREE

FUN THEATER THREE vol.5

1

別れる決心
パク・チャヌク監督
@シネマ・ジャック&ベティ

登山中に崖から転落死した被害者の妻で中国移民のソレと、その事件を担当することになった不眠症のヘジュン刑事。警察と容疑者という関係ながら惹かれ合うふたり。事件は事故として処理され、ふたりの関係もそこで終わったかと思われた。しかし、それから一年後、ふたりは再び出会ってしまう。そして、そこでも殺人事件が……。

物語はA・ヒッチコック監督『めまい』を下敷きにしたような作りで、大枠の構成だけでなく、容疑者を執拗に尾行したり屋上で犯人を追い詰めたり、と具体的なところも踏襲していたりする。
主人公が神経症的な病を患っているキャラクターで、仕事の対象人物に過剰にのめり込んでいくところも『めまい』と同じなのだけれど、『めまい』のジェームズ・ステュアート演じる主人公と比べて、『別れる決心』のパク・ヘイル演じる主人公ヘジュン刑事はものすごく良い人に思えるところが新鮮でとても面白かった。
対象への強い執着心に囚われ続け、常に不安と焦燥感を抱えて周りが見えなくなっているような『めまい』の主人公に対して、『別れる決心』のヘジュン刑事は全く違った雰囲気で、その違いがとても興味深い。
ヘジュン刑事は警察官として非常に優秀なキレ者という設定なのだが、そういったキャラクターにありがちなピリピリした振る舞いを職場等で見せるでもなし、独特なクセの強い雰囲気もなく、あるいは無口だったり塞ぎ込んでたりするわけでもなく、関わった人から「品がある」と言われるほどだ。
このようなキャラクター性が物語に与えている影響はとても大きくて、作品をロマンスという枠で考えた時に、個人的に『めまい』はでっかいクエスチョンマークが浮かんでしまうのだが、『別れる決心』にはしみじみと浸ってしまうものがあった。

映像表現も面白くて、同じ空間の中にいる人物の視線が対象に直接向かうのではなくて、カメラやモニターなど何かを介して映し出されたものがスクリーンで折り重なっていく。
場所や時間は重なってはいるけれど、それぞれ異なる次元というかレイヤーからお互いなんとか必死にコミュニケーションをとろうとする姿が印象に残る。
そうした抽象的なイメージが喚起されつつも、お話自体はシンプルで具体的なのもいい。
語りの表現方法が洗練された芸術的なものでありながら、サスペンスドラマの展開としてはベタな感じがあり、それがとてもいい。

ところで、今回のテキストは本作と下記の二作品でも、移動手段として車が出てくる映画だ。それ自体は特段珍しい話でもなんてもないけれど、映画において車中のシーンというのはいかにエモーショナルな役割を果たしているのかということに改めて感じ入った。

2

ワイルド・スピード/ファイヤーブースト
原題Fast X
ルイ・レテリエ監督
@T・ジョイ横浜

2001年公開の第1作からのシリーズ第10作目で最終章二部作の前編にあたる(三部作になる可能性もあるそうだ)。
シリーズ第5作目でブラジルの麻薬王レイエスを破滅に追い込んだドムことドミニク率いるワイルド・スピード・ファミリーだったが、それから12年後の今、レイエスの息子ダンテによる完全なる復讐劇が幕を切って落とされた。

ワイスピはヴィン・ディーゼル演じる主人公ドム以外のパートがめっぽう面白い。最終章にあたって改めてそう思う。
前々作あたりで完全にインポッシブル・ミッション・ファミリーと化したドム達に対する今回の悪者ダンテは、シリーズ過去作にない新しいタイプの人物像で、『ダークナイト』のジョーカーのようなキレ具合と掻き回しぶりを見せてくれる。
と言ってみたものの、あくまで物語上のポジションの話というか、あのジョーカーとは違って目的と動機が“死んだ父親の復讐”と初っ端から本人によってはっきり宣言されてことは進むし、そんなわけだから身元もはっきりしているしで、ジョーカーと言えばの狂気の象徴というものはなく、狂気というなら本質的なところでドムのほうがよっぽどなくらい。
しかし、それがダメと言うことではなくて、過去にない”less macho”なダンテのキャラクター性が作品の世界観を広げていて、とても良かった。
今回は最終章ということで、ゲスト参加がいつもより三割増しのお正月オールスター映画ばりの大盤振る舞いをみせてくれていて、舞台はかなりの大賑わい。
そんな普通なら収拾がつかなくなってもおかしくないところを、ダンテが狂言回しとして物語の軸となって作品を成り立たせていることにも感心した。

3

仮面の報酬
原題The Big Steal
ドン・シーゲル監督
@シネマヴェーラ渋谷

1949年公開作品。
自身にかけられた嫌疑をはらすため、真犯人を追ってメキシコに辿り着いたデューク。真犯人と関わりを持つジョーンと共に見知らぬ土地で決死の追跡劇が展開される。果たして真実が解明されデュークの無実は証明されるのか。

今作を見るのは二回目。しかし、例によっていざ映画が始まるまで内容をほぼ覚えていなかった。
前に見たのは、ノワール映画の古典的傑作として呼び声高いジャック・ターナー監督『過去を逃れて』を見てのこと。
1947年公開『過去を逃れて』の主演ロバート・ミッチャムとジェーン・グリアのふたりを再び主演に据えて撮られたのが今作『仮面の報酬』なのだった。
そんなわけで、ノワールものを勝手に期待して見たのだと思う。
しかし、今回見てみて思ったのは、今作は完全にアクション・コメディ映画だということ。
確かにノワールものと言えなくもないのだが、主演ふたりのかけ合いはとても楽しく、ふたり以外の登場人物たちのやりとりも同様、さらに劇中で「過去のことは忘れて」というロバート・ミッチャムによる目配せな台詞まであるのだった。
前回見た時は自分の思い込みと実際とのギャップで記憶に残らなかったのかな? と少し思った。
まあ今回のようなケースに限らず、なんでも忘れてしまうのだけれど。

ともかく、映画は素晴らしく大変楽しめた。
アクションのシーンでは特に物語の中盤辺り、主人公ふたりが車で追いつ追われつしているところで、デューク役ロバート・ミッチャムの台詞「女の運転は信用ならん」からのジョーン役ジェーン・グリアによるカー・チェイスのシーンがかなりのワイルド・スピードというか、激しいS字カーブの連続をお構いなしにアクセル全開で飛ばす飛ばす。
見ていて、おお!っと思わず仰け反りそうになった。
映画館でのそんな体験は最近だと『トップガン マーヴェリック』くらい。
稀に見る最高のシーンだと思う。

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FUN THEATER THREE

FUN THEATER THREE vol.4

1

ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り

ジョナサン・ゴールドスタイン監督
ジョン・フランシス・デイリー監督
@T・ジョイ横浜

TRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』を映画化した作品。
吟遊詩人エドガンは組織ハーパーの一員として世のため人のため日々戦い続けていたが、悪敵に妻を殺され組織を抜け泥棒稼業に。死者を甦らせることのできる“よみがえりの石版”の存在を知り、奪取を計るも失敗し牢獄に。しかし、脱獄してかつての仲間たちと共に再び石版を巡る冒険に挑む。

監督のひとり、ジョン・フランシス・デイリーは1985年生まれ。TVドラマ『フリークス学園(原題Freaks and Geeks/1999〜2000年放映)』で本人と同じ14歳の主人公サムを演じていたことでその存在は知っていたけれど、トム・ホランド主演のMCU『スパイダーマン:ホームカミング』に脚本で参加していたことで、役者以外にも脚本や監督をしていることを初めて知ったのだった。
役者以外にも、といっても『フリークス学園』の印象が個人的にめちゃくちゃ大きいだけで、現在に至るキャリアを見れば普通に立派な監督、脚本家である。最近だとDCの映画『ザ・フラッシュ』に脚本で参加している。

TRPGと聞いて、80年代以降のいわゆるナードというかオタク的な嗜好の持ち主が部屋に集まり嗜むテーブルゲーム、という映画やドラマ(『フリークス学園』でも登場する)で描かれてきたお決まりの姿以外は何も知らない筆者だが、映画は大変楽しめた。
すっきりした脚本と見応え充分な映像、そして活き活きと動き回る役者たちによる素晴らしい冒険活劇だ。

主人公エドガンを演じるクリス・パインと、その仲間の戦士ホルガ役の『ワイルド・スピード』シリーズでお馴染みミシェル・ロドリゲスはとても好きな役者なので、ふたりを一緒に見れてとてもうれしい。とにかくかわいくてかっこいい。
それだけでも満足なのに、敵役でヒュー・グラントが出ているのがまさにもうけもので、見た人なら誰もが思うであろうポール・キング監督『パディントン2』の時と同じく最高な役どころ。この人は卑劣な悪役を演じると、ダン・デュリエと雰囲気が似る気がする。
エドガンの娘役クロエ・コールマンを見るのは気付けばこれで三作目で、『ガンパウダー・ミルクシェイク』『マリー・ミー』と続いて今回もやっぱり頼りになるというか、やたらしっかりしてる子どもというキャラクター。さすがに現代の大人のダメすぎぶりはどうなのか? と少し思った。

映画は丁寧な語りのテンションと自然に親近感の湧く距離感があって、監督ふたりの過去作品『お! バカんす家族』と『ゲーム・ナイト』でもこれは同じ。
今回はTRPG原作のファンタジー企画ものと思いきや、やっぱりピーター・ボグダノヴィッチみたいなアメリカのコメディ映画ならではの気持ちの良さがある。
話がすっと広がって、始めと終わりで縁がぴったり合うようきれいに折り畳まられる。テーブルに置かれたナプキンのような折り目正しい佇まい。

今作は過去二作で少し感じたジャド・アパトー的な世界観からはひとつ頭抜けたようなところがあって、思ったのは、エドガンとホルガが組むパーティーにはあとふたり、魔法使いのサイモンとティーフリングのドリックという仲間がいるのだが、この存在が大きい気がする。
これまでとは違う若い世代のキャラクターが描かれていて、最近でいうと同じく魔法冒険譚のNetflixドラマ『プリンセス・マヤと3人の戦士たち』に出てくるキャラクターに通じるようなセンスがある。
大変なことは色々あるけれど、異常な執着や安易なひらき直りには陥らない、温かでディープなフラット感覚がいい。

2

悪魔の往く町

エドマンド・グールディング監督
@シネマヴェーラ渋谷

1946年発行のウィリアム・リンゼイ・グレシャム著『ナイトメア・アリー』を映画化した1947年公開作品。
カーニバルで働く駆け出しマジシャンのスタン。同僚の占い師から知り得た読唇術と持ち前の才覚によって全てを手に入れようとするが……。

リメイクというのか、同じ原作小説を映画化したギレルモ・デル・トロ監督による『ナイトメア・アリー』が去年公開された。
デル・トロ監督版はスタン以外の主要登場人物のキャラクターが原作より立体的に描かれていて、全体としてちょっと怖くて哀しいお伽話のような、いつものデル・トロ映画になっている。

で、こちらはというと、デル・トロ監督版と違ってキャラクターや各エピソードは割と原作をなぞった作り。
ただ、最後の最後で話のオチがごく普通のラブロマンスに変えてあって、これではせっかくの素晴らしい役者や美術も結局なんだったんだ、というシラけた気持ちに多少なる。

というのも、この原作小説というのが、タイトルそのまま悪夢の小路でトリコ状態になってしまう色々と強烈な物語で、ある種の救いもまるでなく、しかし、それが面白いところでもある所謂濃い作品なものだから、小説と映画は別ものとはいえ、つい原作を基準に考えてしまう。

3

港々に女あり

ハワード・ホークス監督
@シネマヴェーラ渋谷

1928年公開作品。酒と喧嘩にめっぽう強い水夫のスパイクは大男。世界中どの港にも女がいる。と、そのはずがまるでふるわない。そんな時、クールな水夫のビルと出会う。初めこそいがみ合うふたりだったが、じき意気投合し兄弟の契りを交わすのであった。しかし、スパイクがゴディバという女と出会うことで……。

基本的に飲んで暴れて歌って絆を深める、ハワード・ホークス定番の男の子讃歌。
定番といっても、この初期サイレント時代からその後40年近くも、型だけでなく質の高さも変わらないことに単純に驚いてしまう。

ただ、その男の子讃歌もさすがに素朴すぎて前半はやや退屈気味。
しかし、中盤過ぎルイーズ・ブルックスの登場で一気に引き込まれた。
ルー・リードとメタリカによるアルバム『ルル』の原作戯曲『パンドラの箱』の映画化で主人公ルルを演じたルイーズ・ブルックス。
今作の評判がそのきっかけになったそうだが、今見ても先鋭的なまでのモダンな雰囲気に納得してしまう。

主人公のスパイクとビルも素晴らしい。
スパイクを演じるヴィクター・マクラグレンのボートネックシャツでのスラリとした立ち姿のかっこいいこと。
気は優しくて力持ち、強面だけど芯は温かい人物像。トッド・ブラウニング監督『三人(原題The Unholy Three)』でもヘラクレスという役でそんなキャラクターを演じている。この映画はラストがとてもいい。
その相棒ビル役のロバート・アームストロングがまたかっこいい。撫で付けた前髪とニヒルな笑顔がなんとも魅力的だ。ジョセフ・ゴードン=レヴィットと少し似てると思った。

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FUN THEATER THREE

FUN THEATER THREE vol.3

1

バニシング・ポイント

リチャード・C・サラフィアン監督
@ストレンジャー

70年代アメリカ。名はコワルスキーという車の運び屋がデンバー〜サンフランシスコを15時間で、という賭けをして出発する。スピード違反で警察に追われ敷かれた包囲網が徐々に迫るも、止まらず爆走し続ける姿を描いた作品。劇中でコワルスキーが運転する車は、クエンティン・タランティーノ監督『デス・プルーフ』で登場するダッジ・チャレンジャー。

1971年公開作の4Kリマスター記念リバイバル上映ということで見てきた。
映画を映画館で見るのと、DVDやVHSあるいはインターネット配信で見るのも楽しさは変わらない。映画を見るのはいつでもどこでも楽しい。
ただ、当たり前だけれど映画館ならではの楽しみというのがやっぱりあって、『バニシング・ポイント』はまさにそれに当てはまる映画だと思う。
上映時間90分くらいで、社会における個人のリアリティに触れるような寓意的な物語。
イメージ、時間、音楽が多層に重なりつつ、全体像がコンパクトに感じるもの。
要はアメリカン・ニューシネマだったりするわけだけれど、そうした幻惑的だったり詩的なふくらみのある映画を映画館で見るのは本当に楽しい。
この感じは音楽をレコードで楽しむのと似てるとも思う。

映画と音楽でいえば、UKのプライマル・スクリームというバンドがこの映画『バニシング・ポイント』をそのままタイトルにしたアルバムを1997年に発表している。
そのアルバムからの先行シングル『コワルスキー』では、実際にこの映画から台詞がサンプリングされている。
映画からのサンプリングというアイデアは、バンドのヴォーカル担当ボビー・ギレスピーの自伝『Tenement Kid』によると、ビッグ・オーディオ・ダイナマイトからの影響によるものとのこと。
そのビッグ・オーディオ・ダイナマイトはセルジオ・レオーネ監督作品からサンプリングをしていて、引用元に選んだ映画と彼等の距離感というか、UKの音楽好きがモチーフにしたものがどちらも架空のアメリカを幻視したような映画、というのが興味深い。

コワルスキーは黄色いショベルカーを並べたバリケードに追突して自死する。
タイトルそのままに、そこであっさり映画は終わる。
炎上した車から転がるタイヤのようなゆったりとしたエンディングは、演奏を終えたバンドがはけたステージみたいな雰囲気がある。
今回とても印象に残ったのが、コワルスキーが最初から最後まで誰のことも自らは決して傷つけようとしない姿だ。
傷つけようしないだけでなく、コワルスキーは道中で出会う人々と基本的に温かい交流を持つ。
コワルスキーはみんなと同じように孤独だけれど、普通に人と話し、普通に人に親切なのだ。

2

WANDA / ワンダ

バーバラ・ローデン監督
@目黒シネマ

1970年公開のアメリカ映画。監督以外に脚本、主演もバーバラ・ローデンによるもの。日本劇場公開は初とのこと。

『WANDA』を見た後に『バニシング・ポイント』を振り返ってみると、『バニシング・ポイント』の放つロマンが良くも悪くもいっそう際立って感じる。
同時代アメリカの放浪や車の運転といったロードムービーとして共通点はあれど、『WANDA』のそれはロマンとは全くの別ものに思える。
覚めない白昼夢のようでいて、最初から最後まで醒めたまま現実でしかない。
アニエス・ヴァルダ監督『冬の旅』同様にカレン・ダルトンを引き合いに出したくなる。

序盤で主人公ワンダが、路上の売店で買うソフトクリームがとっても美味しそうだった。
この場面ではワンダがひとり取り残されてしまうのだが、ロングショットで映し出される眩しくて儚げな情景が素晴らしい。

3

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

ダニエル・クワン監督
ダニエル・シャイナート監督
@T・ジョイ横浜

現代アメリカでコインランドリーを経営する中国移民である中年女性が、夫を通じて多元宇宙マルチバースの存在を知ることに。経営や娘との関係に問題を抱えつつ、混沌を極め崩壊が迫る宇宙にバランスをもたらす救世主として果たして彼女は目覚めることができるのか? という物語。
第95回アカデミー賞で7部門を受賞した。

キー・ホイ・クァンが出演する映画が撮影されている……と知った時はとても驚いた。
そしてそれ以来とても楽しみにしていた作品。
というのは、S・スピルバーグ監督『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』でのキー・ホイ・クァンは自分にとって特別に印象的な存在だったから。
自分と変わらない(ように見えた)人間が、当たり前のように西洋文化の大人達の中に混じっている姿がずっと自分の中に残っている。

今作でキー・ホイ・クァンはミシェル・ヨー演じる主人公エヴリンの夫であり、マルチバースをナビゲートする役どころ。
影響元として連想してしまうウォシャウスキー姉妹監督『マトリックス』のモーフィアスのようであり、ナビ兼サポート役として考えてみると『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』の時と似た役どころでもある。
そんな彼の劇中での台詞「Be kind!!」には、この世界においての断固たる決意表明としてグッとくるものがあった。

映画が怒涛のマルチバース展開を経て収束し、微笑んでしまうラストシーン後のエンドクレジットで、ルッソ兄弟のプロデューサーとしての参加を知った。
そこで頭に浮かんだのが、ルッソ兄弟がMCU仕事以前に監督として参加していたTVドラマ『コミ・カレ‼︎(原題Community)/2009-2015』だ。
というのも、『コミ・カレ‼︎』でもマルチバースを扱ったエピソードがあるのだ。
そのエピソードはルッソ兄弟の監督によるものではないのだけど、そもそも『コミ・カレ‼︎』というドラマ自体が引用やパロディなどいわゆるネタ的な要素に満ちた自己言及性の高い作りで、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』で描かれた多元宇宙のような、と言える現代の混沌とした世界観を反映したドラマ作品なのだ。

“Chaos already dominates enough of our lives. The universe is an endless raging sea of randomness. Our job isn’t to fight it, but to weather it together, on the raft of life.
A raft held together by those few, rare, beautiful things that we know to be predictable”
『Community』S3-4

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FUN THEATER THREE

FUN THEATER THREE vol.2

1

ブラックアダム

ジャウム・コレット=セラ監督

T・ジョイ横浜のDolby Cinemaで鑑賞。
ジャウム・コレット=セラ監督とロック様ことドウェイン・ジョンソン主演による前作『ジャングル・クルーズ』をめっぽう気に入っていたところ、新作もこの組み合わせと知ってとても楽しみにしていた。
『ジャングル・クルーズ』はディズニーランドのアトラクションを映画化したものだったが、『ブラックアダム』はDCコミックスの映画化だ。
今回ドウェイン・ジョンソンが演じるのは主人公ブラックアダム。この人物とにかくやたらと強くて基本的な能力はスーパーマンとほぼ同じと思われる。しかし、過去に何やら事情があり、単にヒーローとは括れない異質な存在だ。そんなブラックアダムを中心に取り巻く人々や組織による三つ巴で物語は進んでいく。
この物語構造だが、考えてみると『ジャングル・クルーズ』とまんま同じだ。
今作は中東を思わせる色使いの劇中美術がとてもよかったが、これも南米ジャングルが舞台だった『ジャングル・クルーズ』と非西洋文化圏のセンスという点で同じ。
ついでに言うと、映画の尺もほぼ同じだったりする。
現在に至るキャリアを通して、ジャウム・コレット=セラ監督の作品は独特の安定感があるように思う。ちょっと気になる掴みのアイデアがあって、内容は超ド派手な娯楽大作とはいかない予算感の出来具合ではあるのだけれど、それがちょうど良い感じというか、かといって単に地味な映画とは括れない不思議な魅力がある。
作品の安定感ということで連想して考えてみると、リチャード・リンクレイター監督のように作家性を感じるでもなく、ジェームズ・マンゴールド監督のようなツウ好みの職人気質とも違うのがジャウム・コレット=セラ監督で、風通しの良さというかちょっとした語り口の品の良さが独特な気がする。
これまでのミステリー、サスペンス路線に前作からファンタジー要素が加わったことで、作品のスケール感が開けたような、いつもの鑑賞後のほんのり痛快な味わいがグッと増したように思う。この路線は個人的にとても好みなので、今後も是非この方向で映画作りを期待したい。
『ブラックアダム』続編の制作は考えられてないようだけど、新作『Carry-On』と制作(企画?)中らしい『ジャングル・クルーズ2』が楽しみだ。

ちなみに初のDolby Cinema体験だったが、そもそもの館内空間がとてもいい。どの席からもスクリーンがよく見えそうなゆとりある座席配置。正直、シネコンの上映室はこれが基準になって欲しい。売りである画質も音質も言うことなしでDolby Cinema最高だ。

2

ヨーヨー

ピエール・エテックス監督

1965年フランス映画。シアター・イメージフォーラムで鑑賞。
ヨーヨーとは、軸に紐を巻きつけ回転させて遊ぶあの玩具のヨーヨー。それがこの映画の主人公の名前だ。ヨーヨーは生まれながらのサーカスの道化で、彼の自伝のようなコメディドラマである。
物語はサーカスを原点に展開しているものの、映像表現自体は映画への愛に満ち溢れてるのが面白い。
例えば、物語は1920年代を舞台にして始まる。ここでの映像は1920年代の映画のように、つまりサイレント映画のように撮られている。最初、何も知らずに見た自分は「ジャック・タチみたいな映画なのか」と勘違いしそうになった(実際にピエール・エテックス監督にとってジャック・タチは作家としての父であるようだ)。
物語の時代が進み、主人公を取り巻く社会状況は常に変わっていく。そこには戦争の時代もあり、どんな時代でもとにかく生きていく人々の姿が、サーカスといったエンターテインメントのありようを通して描かれるところなど、とても胸に沁みるものがある。
この“父と戦争とエンターテインメント”ということで、Netflixオリジナル映画『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』を連想したが、ショービジネスの舞台裏が描かれるところでは、トリュフォー監督『アメリカの夜』のような可笑しさがある。
映画全体を通して見ると、ヨーヨーという架空の人物の自伝的映画のようで、アーティストであるピエール・エテックス監督自身の姿が浮かびあがってくるようであり、夢と現が溶け合うラストシーンの儚さに心打たれてホロリとした。
コメディと言ってもどこか控えめで詩的な作品で、エンターテインメントもの映画の大傑作だと思う。

〈ピエール・エテックス レトロスペクティブ〉全国順次公開中。
http://www.zaziefilms.com/etaix/

3

RRR

S.S.ラージャマウリ監督

T・ジョイ横浜のDolby Cinemaで鑑賞。
『バーフバリ』の監督による話題の新作。舞台は1920年代イギリス植民地のインド。ふたりの男があることをきっかけに出逢う。前世は兄弟かとばかりに意気投合するも、互いに背負った宿命によりその絆は引き裂かれてしまう。だがしかし、物語は運命の急展開を迎えて怒涛のクライマックスに雪崩れ込むのであった。
あらすじは典型的な兄弟仁義そのものだけれど、それをブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』やジャッキー・チェン『プロジェクトA』といった作品と地続きな時代設計に、『ミッション: インポッシブル』シリーズばりに派手なサスペンス展開を織り交ぜ、クエンティン・タランティーノ監督『イングロリアス・バスターズ』のようなダイナミックな伝奇アクション映画として仕立て上げている。
上映時間3時間(!)という長さを感じさせない問答無用のスペクタクルの連続と、それらを次から次へと捌いていく演出力がとにかくお見事。自分が見た回で、終映後に客席から拍手が起きたのも納得の出来映え。

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FUN THEATER THREE

FUN THEATER THREE vol.1

1

「人間に賭けるな」

前田満州夫監督

1964年日活映画。シネマヴェーラで鑑賞。
ある競輪場で男が女に出会う。男は女に惹かれ追うが、女もまた別の男を追っていて……。さらにそれらをとり巻く人間模様。みんな何かにとりつかれたように追いつ追われつするも、空虚がただ広がっていくばかり。
こんな面白い映画があるとは……と驚いた。
先月DVDが発売されたようだが、そのジャケットカバーに見られる当時のセンスならではなトーンと、実際の映画の印象にはかなりギャップを感じる。
今までモダンと形容される日本映画を観ても、多かれ少なかれ泣きの要素だったり、どこかしらアナクロなものを感じることがほとんどだったし、そういうものなのかと思い込んでもいた。
そんな自分にとって、モダンな日本映画というのはこの映画こそ。
劇中ずっと充満しているクールで熱い空気は、かっこいいジャズみたいだ。
スクリーンに吸い込まれてフィルムの粒子ひとつひとつに分解されてくような快感がある。

2

「明日の夢があふれてる」

番匠義彰監督

1964年松竹映画。ラピュタ阿佐ヶ谷で鑑賞。
ある天ぷら屋が舞台のラブコメディ。主人公カップルの恋の行方と関係人物たち複数のドラマが折り重なって展開していく。高度経済成長期における日本社会の光と影がコントラスト鮮やかに反映されている。まさにタイトルに偽りなしの内容。
とにかく全てが軽い。といって軽薄ではなく、軽妙洒脱でベタついたところがないサラッとした職人さんならではの手際の軽み。
物語の芯はひと組の男女カップルながら、カップルそれぞれの家族、それぞれの友人たち、さらにそのパートナーや仕事関係者たちの様々な諸事情によるドラマが、くるくるコロコロと転がっていくのがとても楽しい。
そんな盛り沢山の情報量をなんなく一本の映像作品として成り立たせていることに感銘を受けた。
終始爽やかなトーンによる語り口が観ていてひたすら心地良い。
物語の結末も大仰な大団円として盛り上がるでもなく、とは言えしっかり感動を胸に残して映画の幕は閉じる。

3

「冬の旅」

アニエス・ヴァルダ監督

1985年フランス映画。シアター・イメージフォーラムで鑑賞。
ある冬の日の朝、畑の側溝で若い女の遺体が発見された。バックパッカーの彼女はどこから来てどこへ行こうとしていたのか? 道中で彼女が出会い関わった人々の語りによって彼女の姿が紡がれていく。
なんとなく難しい映画なのかとばかり思い込んでいたけれど、いざ映画が始まると同時にスクリーンに引き込まれ、最後まで途切れることなく夢中になって観た。とにかく面白い。
あらかじめ悲惨な結末が定まっているというのに、スクリーン上の視線はあたたかく映画ならではのユーモアも湛えている。
語り口はひたすらクールだけれども、そこに簡易で自然なやさしさを感じる。
どんより灰色の曇り空の下で流れるレ・リタ・ミツコのヴィヴィッドな音が空虚に響くのがなんともかっこいい。
今回は30年以上ぶりの日本国内上映らしいが、今年になって2ndアルバムの50周年記念盤が発売されたカレン・ダルトンの漂白感と思わず重ねてしまうものがあった。
紛れもなく傑作だと思う。