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Formula / 石原洋 − 時を超えたため息 I’m always misunderstanding

Formula / 石原洋 [ zen-021]

レコードに針を落とすと少しの空白の後にスピーカーから濁流のようにざわめきの音が迫ってくる。
その街の雑踏音の波にまぎれ重なりあう中からバンドの演奏が姿を見せた途端、ふっと今の自分をどこか遠くから眺めてるような気持ちになる。
最初に聴いた時と今ではまるで違って聴こえるのが興味深く、この音楽の時間が少しの救いにもなっている。

こうした音楽によって生じる内なる感覚というのは、普段はそのものを捉えようとした途端に霧散してしまうものだが、この状況下において思いもよらず意図が反転したような『Formula』を聴くたび、密やかにだが確実に存在していることを実感してしまう。

さりげなく現れてはすぐ消えてしまう予感めいた自分のこの感覚というか偏愛趣味が、一体どこからやって来るものなのかは不明ではあるけれど、ひとつ確かなことは、それはかつて石原洋の音楽に出会ったその時から強烈に意識するようになったということだ。

以下は、それぞれは本盤とは直接の関係は無い思いつきと誤解だったりするが、個人的なルーツと言えそうな音楽体験を起点とし、『Formula』までの現在を結んだ線上に浮かんだ点と点を繋ごうと試みた。
そんな数珠繋ぎのその間から何かしらを見出せるのではないか。強く意味を求めてしまうと見えなくなるものが、浮かび上がらせるような形をとることで見えてくることがあるのではないだろうか。

There’s A New Dawn / New Dawn

多層的な時間を感じるレコードとして思い浮かんだ一枚。
左のブルー1色ジャケットは所謂再発という名の海賊盤。おそらく90年代のもの。右が原盤に準じたアートワークで、現在は公式にこちらで再発されている。
この手のもの自体は特に珍しいものではないのだけど、このふたつのレコードを並べた間に漂う得体の知れないムードに空白の時間を見てしまう。
アルバム表題曲であるこの曲は、鳥が鳴き波が打ち寄せる浜辺で、小さなスピーカーを通したような男のナレーションが流れる中をバンドが音楽を仄かに奏で始める。
アートワークの持つコンセプトと音の佇む様が独特な存在感を放つレコードとして記憶に残っている。

Most Children Do / Fallen Angels

60’sサイケと言っても実際にはそれぞれの音楽性はひと口には括れないものがある。
彼らはアメリカのグループでこれはフォークロック調の曲ではあるが、イギリスのThe Zombiesと通じるような儚さがある。
湿った霧のようにうっすらとだけ表面を覆ったフラワーな空気がそう感じる理由に思う。
商業誌時代初期における水木しげる作品に通じる儚さ。見通しの良い澄んだ空気のすぐ先に不意に現れる、底知れぬ異世界への入り口を覗き込んでしまったようなそんな雰囲気がある。

I Have Seen from “Later With Jools Holland” BBC two / ZERO 7

この曲はカバーで原曲はThe Peddlersの72年のアルバムに収録。The PeddlersはイギリスのソウルフルなR&Bオルガントリオ。とはいえ音楽性はその枠のみに留まらず、同じくトリオ編成である初期Soft Machineのようなプログレッシブな響きを含んでいる。
琥珀色のオルガンによる飾り気のない7thの波紋が渦巻き状にゆっくりと拡がっていくような手触りが同質のものだと思う。
これはそのままZero 7にも継承されていて、原曲ではそのリズムの重さによってやや曖昧にぼやけがちな眩惑さや催眠感が、こちらはリズムの反復性を強調することで楽曲が拡がりを持ち、ある意味わかりやすくなっていると思う。
改めてこのことに注目してみると、David Axelrodの持つ仄暗さと対になるような音楽としても捉えることができると思う。

Morning Glory – from “Late Night Line Up” BBC tv / Tim Buckley

Karen DaltonやFred Neilの音楽に見られるJazzの要素。それは乾いたメロウ成分として、抑制のきいたグルーヴとして、通低音のように流れている。
こうしたことは継承者であるTim Buckleyのレコード全てに言えることなのだが、この映像に関してはこの編成によるバンドのこの佇まいが、音楽性以上に特別なものとして自分の中に響くものがある。
ラジエーターの奥で天国を歌い踊り続けるひとりの少女のような、『Fomula』というレコードの向こうに見え隠れするバンド感とどこか共鳴するものがある。
白いスモークの中で歌い続けるバンドと、そこにエンディングで被さるクレジットまで含めたこのモノクロ映像に触れるたびに、懐かしさ以上の根源的な何かが蘇るのだ。

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ダンシングホームレス – tHe dancing Homeless

今年3月に公開されたドキュメンタリー映画『ダンシングホームレス』。路上生活者達で構成されたダンス集団の活動を追ったこの作品は一部の映画ファンや映画誌から高い評価を得るもののコロナウイルスによる劇場の臨時休館と共に公開は打ち切られた。

しかしどうやら6月1日からの再上映が無事決定したらしい、その後どのくらいの期間上映されるのかは分からないが少しでも多くの人に本作が届くことを期待しここに監督からのコメントを紹介する。

「『マラノーチェ』以来、G・V・サントが成就したストリート・キッズとの脱力的共振」と評された東京の路上風景、カメラが捉える彼らの息遣いを是非感じて欲しい。

ドキュメンタリー映画『ダンシングホームレス』公式サイト


DIRECTOR’S STATEMENT

監督:三浦 渉

東京に住む私たちの生活からは、ホームレスの姿は見えない。私は本作で、大都市・東京に住むホームレスたちの姿をしっかりと見せたかった。それは日本社会を写す鏡でもあるからだ。
そしてその上で踊ることが彼らと他者、そして社会との唯一の接点になっているだけではなく、路上生活を経験した身体から生まれる踊りの魅力をしっかりと描きたかった。彼らの踊りは、何よりも彼らが”生きている証”であるからだ。

ただ私は「なぜ自分がホームレスにならないのか?」「彼らと私との違いは何なのか?」、この疑問を抱えながら撮影を続けていた。そしてその答えは、出演者の一人、平川と話すうちに明らかになった。彼は父親に虐待され、逃げるように家を出た。そして他のメンバーも、同じように親との問題を抱えていた。あるものは親と死に別れ、あるものは親を拒絶し、あるものは親に生き方を強制された。彼らには、親という存在がないのだ。だからこそ路上に出るハードルが低い。そこが彼らと私の絶対的な違いだと気づいた。
そんな彼らがこのグループの主宰者・振付師のアオキ裕キと出会い、踊りを始めた。グループには、”人に危害を加えない”以外ルールはない。踊りも各々から生まれたものが全て。無断で本番を休んでも構わない。アオキは言う「社会のルールがいいですか?」と。アオキは、彼らのあるがままを受け入れ、踊りに昇華する。この映画は、ホームレスにまで落ちぶれた彼らが、ようやく”本来の自分”を受け入れてくれる”父”と出会う物語でもあるのだ。

そして映画のラストに繰り広げられるダンスシーンの作品名は”日々荒野”。これはこの映画の裏テーマでもある。
主宰者のアオキはこの”日々荒野”の発想を、高層ビル群に囲まれた公園で思いつく。そしてその場所は、母親の胎内のような場所だったと語る。日本では、古来より山自体を神と崇めてきた。山に登拝することは、神の胎内に入り、そして生まれ変わることを意味する。
親と断絶し、ホームレスにまでなり、毎日が荒野のような人生を歩んできた彼ら。この映画のラストを飾る”日々荒野”のダンスシーンは、彼らが踊ることで生まれ変わる儀式なのだ。

このドキュメンタリーは、彼らが踊ることで社会復帰していく様を描くような、ありがちな物語ではない。
家族も財産もすべてを失ったホームレスたちが、唯一残された身体と、圧倒的な熱量で、彼らにしかできない肉体表現を追求する。
そして最後には生まれ変わる、今までにない”再生”を描いた物語だ。

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Àdá Irin / Navy Blue

Àdá Irin / Navy Blue [ Freedom Sounds ]
2020.02

ロサンゼルス生まれのプロスケート・ボーダー、Sage ElsesserことNavy Blueによるデビュー作。内省的なメロディのサンプルと最小限の乾いたビート、そして自分自身に語りかけるような淡々としたラップが織りなす空気はガス・ヴァン・サントの初期青春映画の様でもあり何も起こらないロードムービーのサウンドトラックのようにも感じる。

この作品に流れる”親密さと仄暗さ”は前向きでいることやエモーショナルであることが正義と近しい言葉で語られる暮らしのなかで何よりも心を明るく照らしてくれている。特にKAが参加したエチオピアン・ジャズサンプルの 「In Good Hands」 から Chet Baker のようなジャズ・ヴォーカル曲 「ode2mylove」 の2曲を含む終盤4曲に流れるメランコリックなムード、それこそがこの作品の一番の魅力であるに違いない。

ある人にとってはまったく意味のないものがある人にとってはとても重要だったりする。わずか29分、11の日記のような曲たちを聴き終えるころにはNavy Blueというすこし気障な名前にも愛着が湧く。本当に仲の良い友達にだけ教えたくなる作品に久しぶりに出会えた。

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Buck / Brainstory

Buck / Brainstory [ Big Crown ]
2020

ケヴィン&トニーのマーティン兄弟とドラムのエリックによるカリフォルニア州出身の三人組。ぱっと聴きSoulやJazzといった様々な音楽の影響を受けていそうだが、そのどれとも言えない音。

音楽というのがSoul、Jazz、Funk、Rock、Folk etc..に象られたドーナツだと想像して、そのドーナツの穴から静かに溢れ出たような暗闇で煌めく音。それはpsychedelicであり、ここ10年程のこうしたグループに共通して見られる音だ。
特にBrainstoryの場合は、ケヴィンの歌声による遠い乾いた視線と、全体のほんのり明るい雰囲気が相まって醸し出す愛らしさがとても素晴らしい。そのバンドサウンドはひたすら趣味がよく、例えばA-3 「Sorry」 では、コズミックなシンセ音によるワンショットリフ、ヴィンテージリズムボックスのようなピッピコトコトコのドラムセクション、さらに脇からパウワウギターが品良く愛嬌を添え、それらが仲間のように連れ立って揺れ進んでいく。
そして歌。全ての感情を投げ出してしまった後に残ったものだけで紡がれたメロディラインは、結局のところ立ち上がってあてもなく歩き続けるしかない現実に直面している人々の背中をそっと後押しして、ぐっと勇気付けてくれる。

Sorry / Brainstory
部屋の壁にはJohn Coltrane / Blue Trainのポスター
BrainstoryによるJohn Coltrane / Impressionsのカバー

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Louis Wayne Moody High / V.A. [ Numero Group ]

Louis Wayne Moody High / V.A. [ Numero Group ]
2020.04

シカゴの超優良再発レーベル”Numero Group”からまたしても素晴らしいコンピレーションがリリース。『Louis Wayne Moody High』-架空のハイスクール「ルイ・ウェイン・ムーディ高校」の失われた1967年卒業年鑑をテーマに10代の失恋や夏の思い出が歌われるやせるなくも淡い哀愁を帯びたティーン・ガレージが14曲収録。

日本では”トワイライト・ガレージ”と表現されること多分ほとんどだと思いますが、米国のレコードフェアなんかではその手のシングル盤には”Moody”と書かれていてこちらの呼び名の方が一般的。所謂60年代のガレージ・バンドと比べるとフォーキーな楽曲が多く、間違ってもシャウトしないヴォーカル、マイナーキーの哀愁を感じるメロディやオルガンのフレーズ、さえない見た目(七三多めですね)、、、など様々な要素がありますがその極北とも言える作品といえば、The Rising Stormの『Calm Before…』。マサチューセッツの進学校に通うおぼっちゃま達が卒業記念に500枚製作した唯一のLPは繊細さとノスタルジー、自分達を橋の上から見下ろすアートワークさながらのアンリアルな感覚が同居した奇跡的な1枚。

そして今回リリースされる『Louis Wayne Moody High』はそんな黄昏ていて悲観的で物憂いなガレージ・ソングを14曲収録したコンピレーション・アルバム。ほとんどのアーティストがシングルのみを残した超マイナー・バンド。『Shutdown 66』『Teenage Shutdown vol.3』など過去にもトワイライト・ガレージの聖典ともいうべき作品はありましたが今作も同様に語られるべき素晴らしい内容。

トワイライトガレージの聖典 ” Shutdown 66 ” 卒業アルバム風ジャケット

The Rising Stormの再発も手掛けたArf! Arf!からリリースのコンピ「NO NO NO」にも収録の未練たらたらの失恋ガレージThe Invaders”I Was a Fool”、インディアナのガールズ・グル―プThe ShadesによるShangri-Lasライクな”Tell Me Not To Hurt”、13th Floor Elevatersで知られるTexasの名門レーベルInternational ArtistsからシングルもリリースしているThe Chaynsによるフォーキー・ガレージ”See it Though”、夏の終わり系メロディのソフト・サイケデリアThe Frost”Behind the Closed Doors of Her Mind” 、そして最後に収録されているThe Shy-Guysの”Goodbye to You”は数年前にYou Tubeで発見して以来、個人的Wantだった1枚で最高のバンド名とSummer Sounds級の完璧なルックス、謎のリヴァーヴがかかったスネアとじめっとしたオルガンがトワイライト好きのハートを射止めるナイスな1曲。

すでにストリーミングでの配信が始まりましたがNumeroのアナログ盤は毎回装丁が凝りまくり。今作もレーベルインフォでは卒業アルバムを模した革製の造りになっているみたいですし
おそらく詳細なブックレットもつくはず。当時メンバー写真や貴重なバイオグラフィを読みながらあらゆる妄想を膨らませて聴くことをおすすめします。

  1. $1,000,000 War Babies – Hey Little Boy
  2. The Invaders – I Was a Fool
  3. “D” and the Sugar Cane Factory -Fade Sun, Fade
  4. The Shades – Tell Me Not to Hurt
  5. The Werps – Voodoo Doll
  6. Female Species – Tale of My Lost Love
  7. Chayns – See It Through
  8. Yellow Hair – Somewhere
  9. The Islanders – King of the Surf
  10. The Fastells – So Much
  11. The Frost – Behind the Closed Doors of Her Mind
  12. Bob Kirk – Summer Winds
  13. The Weejuns Ready C’Mon Now
  14. The Shy Guys – Goodbye to You
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Omae – Wagamama / Ryu Tsuruoka

Omae – Wagamama / Ryu Tsuruoka [ PEOPLES POTENTIAL UNLIMITED ]
2020.02

横浜生まれのメロウな手口のシンセ歌手(トークボクサー)、ムードにこだわる音楽家。
PPUからのリリースとなったシングルは危険な甘さのトークボックス・バラード、ダブルサイダー。

一億総メロウ化が進んだこの国には珍しい場末のクラブが似合う本気のメロウで悪そうな奴から音楽ナードまで老若男女がきっと恋に落ちる。アーバンとかメロウとかそういう言葉はここまで艶っぽい音楽にだけ使われるべきと夢想する、遊びたりない夜のサウンドトラックに最適な2曲。

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Military Genius / Deep Web

Military Genius / Deep Web [ TIN ANGEL ]
2020.03

カナダのカルト・ポストパンク・バンドCrack Cloudのメンバー、Bryce CloghesyによるソロプロジェクトMilitary Genius。80年代ニューヨーク・アンダーグラウンドへの憧憬をKing Klure以降のジャズ&アンビエント感覚でコラージュしたサイケデリックな魅力に溢れた1枚。

Arthur Russell『World of Echo』やLalaajiを想起させる
ヴィブラフォン入りの甘美なアンビエント・トラック「Reflex」、インダストリアルなビートと深いリヴァーブのサックスによるリンチ的世界「The Runner」、先行曲としてリリースされた「L.M.G.D」はLounge RizardsやGrayあたりを連想させるコールドファンクでかなり格好いい。本作のハイライトとなる「When I Close My Eyes」はPeter Zummoが参加したSuicideの未発表曲といわれても疑わない漆黒のダーク・ロカビリーで裸のラリーズを引用したDirty Beachesの傑作『Badlands』に匹敵する闇の深さと空虚さがある。

ある時期『ツイン・ピークス』の観すぎで自分が暮らしている町の出来事すべてに何か不穏な匂いを感じていた、このレコードから流れるサイケデリックな陶酔感もそれに似たとても危険な香りがする。いずれにせよ平日の昼間、散歩道のBGMには全く不向きな音楽だ。

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Flanafi / Flanafi

Flanafi / Flanafi [ Boild Records ]
2020.01

J Dilla以降のビートに対する、ロックからのミュータントな回答。アメリカのAvant PopデュオPulgasのギタリスト、Simon Maltinesによるソロプロジェクトの第1作目。ほぼ全ての楽曲が彼の演奏によるもので、スライ譲りの密室ファンクにエクスペリメンタルなギターが絡む、アフターJ Dilla的異端プログレッシヴ・ソウル。

例えるならD’Angeloのステージに、酔っぱらったフランクザッパが乱入して散々だったけどあの感じが忘れられないDirty Projectors好きのインディキッズ。エクスぺリメンタルな要素も勿論魅力だが、絶妙なポップネスといい塩梅のヴィンテージ感覚が同居するサウンドはなかなか中毒性が高い。漫画太郎風のアートワークはきっと賛否が分かれるところ。

J Dilla “Last Donut of the Night” の カバー ( guiter: Simon Maltines )